ベニーランド50年の歴史


「八木山」の原型を作った、
2人の「八木久兵衛」

「八木山」の「八木」は人の名前。
これは有名な仙台トリビアのひとつだが、
「八木久兵衛」の名前を知る人は
少ないのではないだろうか。

大正時代、大町で小間物商「紅久」を営んでいた
4代目、5代目の八木久兵衛こそ、
今の八木山の原型を作った人物なのだ。

江戸時代に生まれ七十七銀行頭取も務めた、
気性が荒い「ライオン親父」4代目、
信心深く温和な性格で、
仙台市民の安らぎの場をつくり上げた5代目。
二人のストーリーを紹介しよう。

仙台城跡からの風景(2017年4月撮影)

訴訟にまみれた山を
丸ごと買い取り

江戸時代、仙台城防衛の重点地として立ち入り禁止だった現八木山。明治維新後は藩が旧藩士に払い下げたものの、新政府の思惑や所有権争いが絡み、大正時代になっても多くの訴訟が続いていた。

それに心を痛めていたのが4代目。
蔵王連峰も太平洋も望める風光明媚なこの山を愛していた彼は、「訴訟ごと全部この山を買い取りましょう」と言い出した。

買い取って運動場や遊園地をつくり、当時国民病として恐れられていた結核予防に役立てようというのだ。

八木家が宮城県に提出した風致地区に
建設する野球場、遊園地、公園の見取り図

観覧車からみえる仙台市内、八木山周辺の風景(2017年4月撮影)

約35億円をつぎ込み、
先代の夢を形に

しかし、4代目は志半ばで病に倒れる。

その遺志を継いだのが、甥の5代目だ。
大正15年に買い取りをほぼ完了すると、私財をなげうって開発にかかった。
総費用は70万円、現在の物価に換算すると35億!
総延長7キロメートルの二本の幹線道路や野球場を中心とする八木山公園は、その後市に寄付された。

その公園の隣に作られたのが「ベニーランド」。
屋号から「紅」の字を取った遊園地は、4代目の愛した景観を生かし、今も市民に愛されている。

八木家が宮城県に提出した風致地区に
建設する野球場、遊園地、公園の見取り図

緑萌える初夏、八木山へでかけよう